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2012年8月27日月曜日

久しぶりの投稿でごめんなさい m(_ _;)m  8月中旬の南三陸はこんな感じ!

大変御無沙汰しております。南三陸ミサンガプロジェクト・東京代表の荒木です。

ふと気付いたら、とっても久しぶりの投稿となってしまいました。
先月から新しい職場でのバイトが始まったり、17歳老猫である娘の具合が良くなかったりで、ブログ投稿も一時中断しておりました。申し訳ありません。
でも、全国から支援してくださる沢山の方々のおかげで、南三陸ミサンガプロジェクトの活動は今も変わりなく続いております。

そんななか、お盆明けの8月16日~20日まで、秋の新作アイデアを固めるため、南三陸に行ってきました!南三陸のスタッフ達はみんな元気で、なかには新しいパート仕事が始まった方もいました。以前より女性の求人は増えつつあり、ようやく本格的な復興まで、もう一歩という段階に入ってきたようです。
新作の名前は”実りの秋シリーズ”。単純明快が一番!という私達らしいノンキなネーミングに決まりましたが、まだ試作段階で量産体制に入っていないので、最終デザインを御紹介できるようになったら紹介させていただきますね。
南三陸の皆が、秋の実りをイメージしてデザインしたミサンガです。楽しみに待っていただけると嬉しいです!

さて、そんなわけで、今回は最近の南三陸の様子をご紹介したいと思います。
去年と今年の変化を感じ取れるよう、まずは被災から数ヶ月の南三陸と今の南三陸の全景を並べて紹介してますね!

2011年6月11日撮影
東日本大震災から3ヶ月経った南三陸・志津川のロングショット
画面右上に津波に襲われた病院とショッピングセンターが見えます

2012年8月19日撮影
大震災から1年と5ヶ月経った南三陸・志津川のロングショット
画面右上にあった病院とショッピングモールの解体が終了
沢山の医療関係者と患者さん達が津波の犠牲になった病院です
スタッフ達も、この病院の哀しい話を今も時折口にします


この全景は南三陸・志津川地区にある志津川中学校から撮影した写真です。
被災から半年くらいまでは、ここで毎日、沢山のマスコミ陣が写真やビデオを撮影していました。
今では、マスコミの姿を見ることは殆ど無く、旅行や帰省でいらした方々が時折立ち寄られ、真剣な眼差しで志津川の光景を眺めてらっしゃいます。
震災から1年5ヶ月。やっと瓦礫の大半が片付き、むき出しとなった鉄骨建造物の多くが解体されました。津波の痕跡が消えることにより、辛い思い出も和らいでいきますが、一方で津波の教訓を後世に伝えたいという願いが強くなるのも自然な流れだと思います。
街の方々はそれぞれ、複雑な気持ちを抱えながら、今では唯一となった津波の痕跡、防災庁舎の鉄骨を、”残すべき、いや、解体すべき”と折に触れて議論しているようです。
この防災庁舎では、職員たちが津波襲来直前まで避難放送を続け、そして津波の犠牲になりました。今では南三陸の被害を物語るシンボルとなっています。

南三陸町の防災庁舎
ここには沢山のツアーバスが到着します
毎日沢山の花束やお線香が手向けられ、祈る方々の姿が途絶えません
街の計画では取り壊しの予定ですが、津波脅威の教訓として保存すべきという声も多々あります
ツアーでも個人旅行でも良いので、この風景を一度みなさんにも見ていただきたいです
あと数年で、街は大きく変わり、津波の脅威を物語るものはほとんど見当たらなくなるかもしれません



私は1年4ヶ月に渡って南三陸と関わってきましたが、今まで港近くの被害地域や小さな細道を入ったところにまで、無遠慮に足を踏み入れる勇気が出ず、ブログで津波の恐ろしさを伝えたいと思いながらも、他人ごときがズカズカと無神経にカメラで撮影するのはいかがなものか?と葛藤し、結局、ブログで書く言葉も写真も中途半端で、ろくに伝わらないものになっていたかもしれません。
今回の報告も、きっととても中途半端です。

でも今回は、ちょっとだけ勇気を振り絞って、駅舎ごと流された志津川駅のプラットフォームとロータリーを撮影してきました。(津波被害により志津川の導線は大きく変わり、電車の来ない駅に向かって車を走らせる人は皆無です。そんななか駅に向かう車がいたら、事情を知らない観光客か、空気を読めないおかしな人って感じなわけで。結構勇気が必要なのです。)

駅舎からプラットホームへと向かう通路の入り口
駅舎は流されて以前の様子が分からないので写真は割愛しました
震災前は沢山の学生さんやお勤めの方が
駅舎からこのトンネルを抜け、電車に揺られて他の街へと通っていました


トンネルからホームへの階段
階段下にはもう使われる事のなくなった時刻表が
ポツンと置かれていました

 
分かりにくいかもしれませんが、画面左が前述のトンネル入り口から続くプラットフォームへの階段
写真、真ん中の砂利道が線路の痕跡です
写真右にある陥没したコンクリは、もともとプラットホーム
写真には写っていませんが、ホームには屋根があったようです
しかし支柱が根こそぎ引きちぎられ、今では土台だけが残されています




一見、ただの野原に見えますが、震災前は川を越え山に向かって線路が延びていました
そしてその合間にも多くの住宅が建ち並んでいました
山のふもと、中心から少し右に見える黒い丸が、川から山へと続く線路のトンネルです
しかし線路も家も、ほぼ全ての建造物が流されたので、今では、ただの穴と化しました
現在では南三陸に鉄道が復旧する日が来る事は2度とないだろう
と街の多くの方々が口にします

解体されたショッピングモール「サンポート」と志津川病院の跡地にも行ってみました。
すっかり解体が終わり、今では空き地になっています。
跡地は公園として利用されると聞きました。
早く子供達が、思いっきりはしゃぎながら遊ぶ姿が見たいです。

2012年6月のサンポート解体現場
 
2012年8月サンポート跡地(上の写真とアングル違い)
その奥にあった志津川病院も全て解体が終わりました
残る大きな建築物は、隣の高野会館のみ


近々解体が始まる予定の高野会館
窓や天井を良く見てみると
全ての階に津波が押し寄せた様子が分かります
 
2012年6月時点の公民館

2012年8月の公民館
解体の準備が始まりました

公民館の左に、うず高く詰まれた瓦礫の山
戸倉地区に建設予定の瓦礫処理場で処理されるのを待っています
半年ほどかけて処理されると聞きました

以上、駆け足ではありますが、8月中旬の南三陸、志津川地区の様子でした。
もうすぐ震災から1年半が経過しますが、未だ復興の姿を見ることは難しく、今後も後片付けに追われる日々が続きそうです。
南三陸や他の被災地を訪れる度に、普段東京で見ている風景との違いに戸惑います。
まるで別の国にいるかのような錯覚に陥るからです。
でも、ここは同じ日本で、私達と同じように毎日を必死に生きる日本人たちが、悩みながら凹みながら、でも家族や仲間と笑いあいながら、皆で一生懸命頑張っています。
どうぞこれからも、南三陸の人達と一緒に、 東北の人達と一緒に、被災地の再生に寄り添っていただけたなら、と願っております。
我々ボランティアも、皆様と一緒に被災地を支えていきたいと思っております。

では、最後に南三陸さんさん商店街で行われた、バグパイプのイベントをご紹介して、〆させていただきます。

この日は日曜日で歌とバグパイプのイベントが行われていました
小さいですが真ん中の赤い方がバグパイプ奏者
実はちょっとした知人で偶然、南三陸で再会しました
元戦場ジャーナリスト、現バグパイプ奏者の加藤さんという方です
茨城から岩手まで、三陸の被災地をずっと支援されています

それでは、まだまだ暑い日が続くようですし、これからは沢山大きな台風が来そうな予感ですので、皆様くれぐれもお体に気をつけて。
次回は、東京で購入できる南三陸ミサンガ販売店の御紹介と、秋の新作を紹介させていただきます!お楽しみに~。