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2013年3月19日火曜日

3年目です ~先週の南三陸~

こんばんは\(^▽^)/!
南三陸ミサンガプロジェクト・東京本部の荒木です。

3月11日14時46分、みなさまはどこで黙祷されましたか?
私は南三陸に向かう道すがら、車を止めて黙祷をさせていただきました。
2011年の4月11日、私は初めて南三陸に入り、ボランティア活動を開始しました。
あれから2回目となる黙祷。出会った方々の顔、ポツポツと語ってくれた震災当時の記憶、南三陸の光景が頭の中を駆け巡りました。
黙祷の後、一息整えて、南三陸に向け再発進。

翌3月12日、南三陸ミサンガプロジェクトのメンバーが一同に会し、今後の方針を話し合いました。
今後の選択肢は2つ。
1つ目は”在庫を片付けてプロジェクトを閉める”
2つ目は”今後も自分たちが出来るペースでミサンガを作って販売する”
というもの。
南三陸ミサンガプロジェクトの活動趣旨は”震災で仕事を失った方々が、少しでも収入を得るために、手仕事で生活再建をしていく活動”です。
そして震災から2年が経過し、ようやく若手スタッフの大半が本業の仕事を見つけることが出来ました。(大半は期間限定の仕事ですが、それでも震災直後より少しだけ雇用の幅が広がりつつあります。)

そこでプロジェクトは一定の目的を果たしたと考え、さらに今後、プロジェクト自体がスタッフ達の足かせになっては本末転倒と思い、プロジェクトを終了するか、継続するか、皆の意見を聞くことになったわけです。





みんなが集まり、たわいないおしゃべりが続き、ひとしきり世間話をして、しばし沈黙。
”さて、今後どうしましょう?”と切り出しました。みんなも私の質問を予想していたのだろうと思います。
ほどなくして”出来るならば続けたい”と全員が声を揃えて言いました。
”仕事と両立しながらなので、今までのようなペースでは作れないけど、出来る範囲で続けていきたい”ということです。
始めは”生活支援”のためのプロジェクトでしたが、2年近く続けていくうちに、いつの間にか”被災者と全国の支援者を繋ぐ扉”の役割も担っていたんですね。そしてそういう繋がりが、被災地に生きるスタッフ達にとっても、かけがえのない大事なものになっていたんですね。

そんなわけで、このプロジェクトは今後も亀の歩みを進めていくこととなりました。<m(_ _)m>
方向性としては
1.今までのようにコンスタントにミサンガを制作し続ける体制はとらない
2.在庫はネットショップや個別のお問い合わせなどで継続販売する
3.今後は店舗様やイベント企画者様など、個別の御要望があれば受注生産という形で受託する
というものです。
さらに、新しい目標も作りました。

実は震災からほどなくして、あるスタッフの一人がポツリと漏らした一言が今でも忘れられません。
”今は人に支えられて毎日を暮らしているけど、いつか人を支える人になりたい”

これからは、それを目指していくつもりです。
第一段として、現在残っている運営費のいくらかを、他の団体に寄付することを皆で決めました。
今の予定では、私個人も参加させていただいたことのある、福島のボランティア団体さんに寄付したいと考えています。
私たちは個人が集まって継続してきた団体で、人手と時間の不足が常に悩みの種でした。
それゆえ、今までちゃんとした会計報告をしておりません。
ちゃんとした活動だと分かっていただくためには、ちゃんとした会計報告は絶対に必要と思いながらも、人手不足を理由にして、ずっと先延ばしにしていました。
でも今回は、預かったお金を本来の目的とは違う形で活用することになります。
そのためにはまず、ちゃんとした会計報告をして、今まで支援してくださった方に理解していただく必要があると思っています。
そこで近々、2年分の会計報告をブログで公開し、これからの販売方針や寄付計画も発表したいと思っています。

頼りないプロジェクトながら、沢山の方々に支えられて、無事3年目を迎えることが出来ました。
これからもみなで一緒に前を向いて、一歩一歩明日に向かって歩いていきます。
そしてこれからは皆様から頂いた御恩を、自分たちも他の誰かを支えていくという形で返していきたいと思っています。
今まで、ありがとうございました。
そして、これからもよろしくお願いします。

さて前置きが長くなりましたが、ここからは今回のメイン『南三陸・志津川の今』を写真とキャプションを綴ってお伝えしていきます。
どうぞ最後までお付き合い頂けますよう、よろしくお願いいたします。_(._.)_


新しいJR志津川駅舎が完成!
さんさん商店街のすぐ隣、志津川の目抜き通りである本吉街道398号線沿いにあります
走っているのは電車ではなくバス
レールも駅舎も流されたので残ったトンネルを使ってBRTシステムで運行しています
詳しくはこちら
http://www.m-kankou.jp/archives/2754/

こちらはかつてのJR志津川駅ホーム
線路は流されホームの一部も津波に持っていかれました
このホームもいずれは撤去されることでしょう
旧JR志津川駅のホームに向かう通路
震災前は日々沢山の方々がこの絵を横目に見ながら
通勤通学、買出しへと向かったことでしょう
この絵もいずれ解体される日がくるのだと思います
ちょうどランチタイムだったので
さんさん商店街の弁慶鮨さんでお昼をいただくことに
春限定 春つげ丼 弁慶鮨さんバージョン
まぐろ、いか、たこ、えび、あわび、あなご、中とろ
サーモン、かんぱち、うに、めかぶ、玉子が乗ってます
サラダとお味噌汁がついて1500円
東京でも滅多に味わえないネタの新鮮さもさることながら
シャリの甘酢加減も絶妙
旨い!大満足です
志津川港の様子
地盤沈下と潮の満干も影響して
まだ手が付けられないところもあります
風景の一部を切り取った写真なので辺り一面こういう状況ではありません
整備が進んでいるところもあります
でもまだこういう所もあることをお知らせしたくて載せました
パッと見工事中の空き地に見えますがもとは街の中心地です
前回南三陸を訪問したときは
まだ家の基礎が残っており津波の威力を如実に感じさせる光景でしたが
とうとう家の基礎も片付けられ
今ではどこが家でどこが商店でどこが工場か
さっぱり分からなくなりました
これも復旧の零地点に近づいた確かな証ですが
そこに詰まっていた沢山の想いを考えると複雑な気持ちです

鉄骨建物も一個一個丁寧に解体されていきます

家の基礎が積み上げられたガレキ集積場
”ただいま!”おかえり!”の声が今にも聞こえてきそうです

防災庁舎跡地
沢山の悲しい記憶が詰まっている場所
いまだ保存か解体かで街は揺れています

志津川中学校から撮影した志津川全景
このポイントはしょっちゅうメディアの方々が出入りするので
”徐行してください””関係者以外立入禁止”の看板が立ててあります
中学校の校庭には仮設住宅もあります
日々の生活の苦労が見えてきます

現在、三陸道は登米東和までしかつながっていません
でも今年中には志津川までつながる予定です
もうすぐ志津川中心部からほど近い場所にICが完成します
早く完成して、沢山の方々に志津川に来て欲しいです

ガレキの大半が片付けられ
いよいよ津波の痕跡を見つけることが難しくなってきました
でも注意深く周りを見渡すと、いまだ津波の威力を感じさせる場所があります
ここは港に一番近い桟橋跡です
橋の欄干を見ると津波の凄さと復興の難しさを考えさせられます

以上、先週の南三陸の様子を私の視点でお伝えしました。
伝えきれないことも多々ありますが、ご勘弁ください。
出来ることなら出来るだけ多くの方々に南三陸に行ってみて欲しいと思います。
当たり前ですが被災地です。辛い光景もたくさんあります。でも、本当に素敵な土地です。
私の大好きな南三陸を、少しでも沢山の方々に知って欲しいと思っています。



ではまた。次はできるだけ早く会計報告をできるよう、私も頑張りますね(´∀`*)
温度差の激しい日々が続くので、皆様くれぐれもお身体に気を付けて。