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2012年4月11日水曜日

1年と1ヶ月

みなさまこんばんは。南三陸ミサンガプロジェクト・東京本部の荒木です。

今日で震災から1年と1ヶ月ですね。
4月11日は私にとって忘れることの出来ない日です。
ちょうど1年前となる2011年の411、私は生まれて初めて南三陸入りし、津波で消失した街を目の前にし、あまりの光景に呆然とするばかりでした。そして翌日、南三陸の友人達と出会いました。
あの日から今日まで、南三陸の方々にとっても私にとっても、震災はずっと続いているかのように感じられますが、それと同時に今も全国の皆様に支えられている幸せを実感しています。
いつもお礼を言うことしかできず、もどかしいばかりですが、心からありがとう御座います。
ずっと支えてくださり、ずっと見守ってくださり、励ましてくださり、ただただ、ありがとうございます。

報告が遅くなってしまいましたが、3月27日~30日にかけて、南三陸に行ってきました。
今回は①レインボーシリーズの販売報告、②新ラインナップ”若草シリーズ”のデザイン、③協力いただいているガラス作家さんとのコラボミサンガ方針、の3点を話し合ってきました。
お陰さまでスタッフはみな元気で、新学年や入学を迎える兄弟や子供達の話題など、明るい話題も増えて、和気藹々と笑顔に満ちた会合となりました。
震災から1年を超え、やっと穏やかに笑い合えるようになってきたのかな?と感じています。
それでもやはり、知人の法事の話、震災当時の話、未だ不明の方々の話が自然と会話に出てきます。雇用に関しても、少しずつ改善しつつありますが、まだ十分というには程遠い状況です。
これからも復旧に向け、一歩一歩粘り強く前に進んでいくことになりそうです。

会合も無事終了し、一日だけ自由な時間が取れたので、久々に志津川の街を巡り、さらに足を伸ばして気仙沼、陸前高田を周ってきました。

まずは完成間近となった南三陸町役場の本庁舎。やっと正式な役場が開庁します。

建物が完成し、あとは内装工事終了を待つばかりの本庁舎
 
ずっとプレハブの仮設診療所でしたが、ようやく本格的な診療所が開設
(4月開設予定)

観光協会のプレハブも出来ました

去年10月に再開した南三陸町図書館
 
2月にオープンしたばかりの仮設商店街"南三陸さんさん商店街"
 
お蕎麦屋さんでランチ

蕎麦天丼セット900円
素朴な蕎麦と甘辛の蕎麦汁、おいしゅうございました


"南三陸さんさん商店街"脇に積まれた大量の瓦礫
今も変わらず志津川全域に広がる震災の傷跡に、思わずため息が漏れてしまいますが、今回は役場や病院や商店街など、新しい変化を身近に感じとる事ができて、とても嬉しかったです。
”南三陸さんさん商店街”でおいしいランチを頂いた後は、気仙沼~陸前高田まで足を伸ばしてみました。
実は南三陸以外の被災地を訪問するのは今回が初めて。
移動途中に石巻や松島を車で通過する事はありましたが、自分の足で歩いた事のある土地は南三陸だけでした。
これまで、南三陸の事を考えるだけで精一杯で、他の被災地を自分の眼で見る時間的余裕も気持ちの余裕もありませんでした。1年を超えてようやく、他の被災地はどうなってるんだろう?この眼で確かめに行こう。と決断し行動に移すことが出来ました。

志津川から車で約1時間、気仙沼でも被害の大きかったと言われる鹿折地区に到着しました。

気仙沼港から打ち上げられた大型船
沢山の方々が船の前で手を合わせていました


被災者への配慮をお願いする看板


南三陸と同様に土台だけが残る大地
遠くに見えるのは未だ片付けられない多くの瓦礫
 初めて気仙沼の光景を見て、”景色と復旧状況は南三陸と同じだな”と思いましたが、一つだけ大きな違いを感じたのは、気仙沼の被害の多くが気仙沼港などの海岸線や河川周辺で見られ、内陸の市街地にはスーパーマーケットや量販店が震災前と同じように残り、ごく普通に営業していること。(大型スーパーのイオンにも水が入ったそうですが、今では綺麗で立派なスーパーという印象です。)南三陸よりずっと街の規模が大きい気仙沼ならではの光景。
小さな港町である南三陸町では街全体がまるごと流されたので、店も役所も病院も、全て一から再建するしかありませんでした。逆に言えば、だからこそ皆で力を合わせるしか方法がなく、持ちつ持たれつで一年強を過ごしてきたと言えます。 しかし気仙沼では、被害のあった地域とすぐに復旧できた地域が同時に存在しているように見えました。そういった環境だけに、気仙沼には南三陸と違う形の苦労があるのかもしれないな、と思いながら気仙沼を後にしました。

その後さらに、陸前高田まで足を伸ばしてきました。
一目見た感想は、”あれ?ここって、全部田んぼと畑だったのかな?”というもの。
とにかく見渡す限り平らな大地が延々と続くばかり。そして突如として現れた観客席までガタガタに破壊された野球場。
”え???ここ街だったの?前はどうなってたの?”と戸惑うばかり。
かつてあった街の様子が想像できないほど、何もかもが流されてしまったのでしょうか?
どこまで行っても平らな大地が続くばかりなので、震災によって陸前高田がどう変わったのか、最後まで全く分からないまま志津川に帰ってきました。
帰ってからGoogleMapを開き、陸前高田の地図を確認してみました。
するとあの延々と続くまっさらな土地に、かつては沢山の住宅、アパート、店、工場があったことが分かりました。以前、ボランティア仲間から”陸前高田に行ったら絶句するしかないよ。とにかく見渡す限り瓦礫の山で、それがどこまでも続くんだよ”と聞いていましたが、自分の眼で見るまで、その実感はありませんでした。今では瓦礫も整理され、道路も綺麗に整備されつつありますが、それでも被害の大きさに、ただただ驚くばかりです。

陸前高田では写真を撮影しなかった為、、下記にGoogleMapを貼り付けておきます。


大きな地図で見る

GoogleMapの下にある「大きな地図で見る」をクリックして頂き、右上に出てくる”航空写真”をクリックしてみてください。
地図に載っている家々が、震災後の写真には残っていません。
こういう風に書いてしまうと、まるで興味本位で書いているように捉えられてしまうかもしれませんが、そんなつもりは全くありません。もし不快に感じる方がいらっしゃったら大変申し訳ありません。
ただ、被災地の方々が今も大変な状況にいる、という事実を少しでも多くの方々に実感して頂き、皆で支えあう一助になれば、と思っています。

今回、南三陸、気仙沼、陸前高田と3箇所を周り、これまで以上に強く「一人でも多くの方々に被災地の今を見てほしい」と感じました。
この一年、被災地の人々は深い哀しみと共に生活再建への苦労を背負わざるを得ない状況でした。そして一年を超え、哀しみの深さは変わりませんが、被災地の方々は少しずつ前に進み始めています。
ずっと被災地を訪れたかったけど気を使って訪問の機会を作れなかった方や、友達や家族と東北を訪れる機会がある方は、是非とも被災地まで足を伸ばしてください。
もし自分の街が被災したら…、家族と離れ離れになったら…、壊滅した街で生活再建するには…など、自分の眼で見て自分と重ねながら、被災地の今を感じとってほしいと思っています。

では、相変わらず長い投稿となって申し訳ありません。
最後まで付き合ってくださり、ありがとうございます。

次回は南三陸ミサンガプロジェクトの新シリーズと作家さんとのコラボシリーズを紹介したいと思っています。

天気の変わりやすい昨今ですが、皆様お体に気をつけて。それでは、おやすみなさい!